| ♪ラ・フィエスタ |
マーチング=ラ・フィエスタ 初めの一歩
1988年(昭和63年)2月。
グリーンハーモニーの有志(というにはあまりにも少なかったと今でこそ思うが)3人が集まり、「高校生時代にやったマーチングを何とか卒業しても続けて出来ないものか」ということから始まり、周囲からは無謀とも言われながら岡山県総合グラウンドで練習を開始しました。
グリーンハーモニーの練習に支障のないよう、第二と第四の日曜日の午前中に練習を行いましたが、総合グラウンドは一般の方の利用もあり、時々「うるさい」との苦情もありました。
もちろん、その頃はグリーンハーモニーに色々な意味で迷惑がかかってもいけないというつもりで、「とにかくある程度の形になってから見てもらおう」と、メンバー募集に走りました。この時、岡山市内の某楽器店さんのご好意により、手作りのメンバー募集ポスターを掲示させて頂けたのは、本当に今でも感謝の気持ちでいっぱいです。しかしながら、メンバーは思うように集まりませんでした。練習開始当初は、トランペット1人、トロンボーン2人、ホルン1人、パーカッション2人の6人でした。(と言っても、仕事などの都合から練習にはだいたい3人の参加でした。)
同じ年の7月からは、練習会場を総合グラウンドから岡山市大内田の岡山県総合流通センター内公園に移し、練習時間も日曜日から水曜日と土曜日の夜8時としました。メンバーの仕事の都合で、8時でないとそろわなかったからです。
なんとか練習日程だけは、軌道に乗ってきたこの年の第18回定期演奏会で、佐藤先生から「来年はこのバンドも創立20周年を迎えるわけで、・・・今まで前半と後半の二部構成でやってまいりましたけれども、来年度は一大冒険としまして、このおじさん、おばさんたちが、失礼、お兄さんお姉さんたちが、元気を出してステージドリルをやってみようという大胆な計画も進めておりますので、ぜひ・・・。」と本当に大胆な発表があったのです。
嬉しい気持ち半分と、この先の不安が半分で複雑な気持ちの中でそれこそ「やるっきゃない」と誓ったのも大胆だったのかも知れません。
しかしながら、この頃から練習に集まってくるメンバーの数は15人位になって、12月には恒例の年末表彰で「特別賞」をいただき、その副賞の「ホッカイロ」をもって寒い中頑張って練習をしたのです。
この年の大晦日は土曜日に当たり、私たちの通常の練習日となっていました。常識では中止をするのかも知れませんが、練習を強行し、終了後何人かのメンバーで初詣に行ってしまったのも本当に大胆な行動です。
そして1989年(平成元年)も無事に明けたかに見えましたが、天皇陛下の崩御により、練習を中止せざるを得なかった事もありました。
仕事の都合から、瀬戸中央道・中国自動車道等の高速道路を利用して練習に駆けつけてくるメンバー、また夜勤のため練習後すぐに高速道路で仕事に向かうメンバー、夜勤明けで本当ならゆっくり休みたいところを、練習に駆けつけてくるメンバー等々、本当に嬉しい、欠かすことのできないメンバーが集まっての練習が、「音創り」「フォーメーション作り」へと進められたのです。
グリーンでのマーチングは、ある意味で、学生時代の部活動のようにも思えますが、社会人となっては学生時代のそれとは全く違い、非常に辛く苦しい活動です。しかし、そんな思いを乗りこえることができるのもが、マーチングに秘められていると思います。
振り返って見て、お世辞にもやり切ったとは言えないことが、今後の課題だと思います。しかし、寒さと戦った練習、苦労したメンバー確保などのこれまでの苦労の数々をバネにして、あのステージでのフォーメーションのように全員で足並みをそろえて前進していきたいと考えています。
創立20周年記念誌「響」より
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